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2011年日記 |
2011年1月1日開始 | 2011年12月31日 |
今年は大震災の被害の様子を見る度に心痛む年となってしまいました。 幸いにも私始め家族、親戚には幸いにも特に被害はありませんでしたが、罹災した方々には一刻も早くもとの生活に戻れますようお祈り申し上げます。 今年1年いろいろとお世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。 |
....ただし不精なのでめったなことで更新はありません。
12月12日(月) みかん収穫
しばらく前からみかん収穫のアルバイトをしているが、みかん畑は山の斜面にあり、登ったり降りたり、木の下を潜ったり枝の間をかいくぐったりで体力の低下と体が思い切り固くなってしまっているのを痛感する今日このごろ。
やはり日々の鍛錬が大切なんだなあ。
皆様も寒さに気をつけて風邪など召しませぬよう。
特に書くこともないので。
11月21日(月) みかん園でアルバイト
このへんのみかん畑はほぼ南向きの海に面する斜面が多いがやはりここも海一望の景色のよいところ。写真にはうまく写っていないが遠く三浦半島、房総半島が見える。
今日はいい天気で暖かくそんな中で仕事するのは最高。
今日の仕事はオレンジの袋かけだが、一個一個紙袋をかけるのはけっこうな手間。
農家の仕事というのもなかなかたいへんなんだなあ。
11月20日 伊東深水展
もちろん中は撮影禁止なのでせめて参考にパンフレットでも。
伊東深水といえば漠然と美人画と思っていたがそこには解説を読んではじめてなるほどなーと思える精神性があったのでした。
2011年11月18日(金) 干柿できた
途中味見と称して食べたのでだいぶ数は減ってしまった。
漂白してないので色は黒いが味はとてもよい。
あとでゆっくり食べようと箱にしまっておいた。
けっこう木に柿がそのままになってるのを見るがもったいないなあ。
11月1日(火) 干柿
もともと甘いものは好きだが、充分に甘く、かと言って甘すぎない干柿の絶妙な自然の甘さはへたなお菓子とちがって飽きがこない。
柿が売っていたのでついつい買ってしまった。甲州百匁柿。さっそく干柿をつくってみる。
一気に秋の風情だ。
10月22日(土)~23日(日) 鹿教湯温泉
紅葉にはちょっと早かったが心配していた天気も朝には雨が上がり、存分に秋の旅を満喫してきました。
鹿教湯は小さい温泉場ながらもいたるところにお客をもてなす細やかな心遣いが感じられ、お湯も古来の名湯にふさわしく、また行きたい温泉のひとつです。
久々に温泉に浸かって生き返った気分です。
10月9日(日) さるなし
さっそく採ってきて食べてみた。
形は毛のないキウイといった感じだが、味もまさにキウイ。しかもはるかに濃厚な味だ。
ただ粒によって味の差が激しい。固くてすっぱいのがある。ちょっと早く採りすぎたかな。もっと選んでとってくればよかったな。
ああ、秋だなぁ。
10月1日(土) 小田原散歩
よさこい系のイベントです。
散歩がてら小田原城を中心に小田原の街を一回りしてみました。
人出もずいぶん戻って小田原の街も活気を取り戻しつつあるようです。
→ 小田原えっさほいおどり
9月25日(日) 宋我神社例大祭
9月18日(日)~19日(月・祝日)
八ヶ岳の麓できのこ採り、宴会、星空観察などを楽しみ、さらに翌日霧が峰高原をハイキング。
両日とも絶好の好天にめぐまれ、えらい楽しい2日間だった。
でもふだん運動をしていないせいかハイキングでは女性陣にも遅れをとってしまうありさま。
反省!
8月24日(水) 蚊取線香
今まで電気式の蚊取を使っていたが、なるべく電気は使わないようにと蚊取線香に変えた。(微々たるもんだがね。)
そういえば使っていない香炉があったなあと香取線香をセットしてみたら、ちょっとおもしろい雰囲気があってなかなかよいではないか。
煙をゆらゆら吐くのをみているとけっこう飽きない。暇だなあ。
何でもかんでも最新のハイテクものを使うよりちょっといにしえの味のあるものを使ってみるのもいいもんだ。
2011年8月20日(土) 高校同期会
いつものように朝ちょっと早めに出て寄り道。東京国立博物館で「空海と密教美術展」というのをやっているので見に行く。
ましてその直筆や身に着けたありがたい品々、当時の秘仏や仏画、経典などをじかに見れる機会などはあまりない。
一生に一度のことだななどと思いながらありがたく見てきたのでした。南無南無...
結局総勢80人くらいの人たちが集まった。遠くフランスからこのために来た人もいる。
卒業してから43年、みなそれぞれの道を歩いてきたが今ここでは当時一緒に勉学(というよりどっちか言うと遊んでいたかな?)に励んだころの気分に戻って大いに話に花が咲いた。
すでに定年退職してのんびりしている人、まだまだ仕事をがんばっている人、孫の世話でいそがしいとか腰を痛めてたいへんだとかいろいろ話がはずんでいた。
でもふと出てくる古い話になぜか昔のことが懐かしくなる今日このごろでした。
この高校同期会は非常に活動が活発でさまざまなサークルが林立し、都度参加者を募って学び、遊び、そして飲んでいる。次は来月の秋のきのこ狩りに行ってみよう。
2011年8月1日〜5日 秋田
2011年7月28日(金) 真鶴散歩: 国指定重要無形民俗文化財 真鶴貴船祭
貴船祭は国指定重要無形民俗文化財に指定されている由緒あるありがた〜いお祭りです。
お祭りの本番は夕方からだが、今年は東北関東大震災後の自粛ムードの中、地元の漁業関係者に東北出身の方が多いことへも配慮してメインイベントの御輿の海上渡御は中止になったとのこと。この海上渡御は以前見たのでいいことにして、今回は散歩がてら昼間の祭と街の様子を見てこよう。
実は神様は昨日海を渡っていらっしゃり、今日は朝から一日かけて真鶴の各所を回ることになっている。そこには夕方の、多少観光用にイベント化された祭と違って、真鶴に住む人々の神(あるいは自然)への祈りと感謝の念がきっと見てとれるに違いない。それこそが祭の本質であろう。
さて午後家を出、行きは下りだからいいけど帰りはたいへんだななどとぶつくさ言いながら歩くこと30分、真鶴駅に着きました。
街をぶらぶら歩いていると、いたるところに数メートル四方に竹を4本立て三方に注連縄を張り前を開けた場所が目につきます。ほう、ここにお神輿を入れて何かやるんだな、などと思って見ていると、太鼓の音とともに神様の御輿らしいのがやって来ました。
...な、なんと、神様は軽トラに乗っていらっしゃいました。
そして神様の乗った軽トラは、注連縄を張った指定席にすっぽり収まり、そこに近所の人たちらしい人々が集まって神主様からありがたくお祓いを受けていたのでした。
最近は担ぎ手が少なくなってまる一日担いで回るのは難しくなったとは思うけど、その近くの区域の人たちも協力して担いで神様に来ていただき、そして次の区域までお送りするというふうにはならないのかな? などと思いながら、また小一時間かけて坂を登って帰ってきたのでした。
ま、いい運動にはなった!
2011年7月14日(木)〜15日(金) 博多祇園山笠
2011年6月16日(木)昔の会社の同期会
思えば長いようで短かった38年。ずいぶんみんなに助けられたり迷惑かけたり。もう一度38年前に戻って再び歩いてみたい道、それができれば今度はもっと上手にやるさ!...年寄りの繰り言。
2011年5月 ゴールデンウィーク
定年退職したら毎日がゴールデンウィークみたいなものと思われがちだが決してそうではない。こっちがゴールデンウィークでも世の中がゴールデンウィークでないとやっぱりつまらない。
今年は震災の影響で多くの行事やイベントが取り止めになったが、それでも近場では小田原で北條五代祭、伊豆小室山のつつじ祭りなどがあり、行ってみた。
でもちょっと前までがらがらだった小田原の街にもけっこう人出が戻ってきていた。
小田原城馬出門の前でしばらく待っていると、やがて勇壮な太鼓の乱れ打ちが鳴り響き、城門が開いて鉄砲隊が出て鉄砲をぶっ放し、甲冑の武者行列がぞろぞろ出てきてパレードが始まりました。
続いて4日(水)、伊豆小室山のつつじ祭りに行ってみた。
川奈の駅から歩いて行ったが登りでけっこういい運動になった。つつじが満開。
2011年3月29日(火) 震災義援金
幸い私のところは停電くらいで済んでいるのだから何かしなければと思い、ハローワークへ行った帰りに近くの郵便局で東北関東大震災への義援金を振り込んできた。
失業中であまり多くは出せないが、せめて1ヶ月分の煙草代くらいの金額はだしてもいいだろうと、残り少ない小遣いから少々だが送らせていただいた。
でも本当に1ヶ月間煙草をやめられるかというと、...かなりあやしい。
とにかく被災地のみなさんに一日も早く立ち直ってほしい。がんばってください。
2011年3月29日(火) ハローワーク
で、何かおもしろい仕事でもないかとハローワークに登録して幾度か行った。もちろん失業保険ももらうことにしたが。
今ハローワークは人がいっぱい。求職はかなり厳しいようだ。
昨夜インターネットで見てこれはいいかなという案件があったので相談してみたら、な、なんと、つい先ほど求人取り消しになったとのこと。
東北関東大震災の影響だろうか。
できれば湯河原、真鶴、熱海の近場あたりに仕事はないかと思っているが、このあたりは観光産業が主体で、今観光客は激減しているとの話。実際大震災後どこへ行っても人が少ない。先日箱根を通ったがいつもは人でごったがえしている土産物通りががらがらだった。
ああ、先は厳しそうだぞ。
2011年3月16日 計画停電
ただそのやりかたのまずさには大いに疑問を感じる。
緊急事態に大事なことは、情報が得られなくてもとにかく先の予測がつくということと、行動計画が立てやすいこと。
一回聞けばすぐにわかり、それだけでさらに先のことが予測できて行動しやすいことが大事だ。
非常時には常に情報を必要とするやりかたというのはどう考えてもまずいだろう。
実際自分のところがいつ停電する予定なのかさえよくわからなかった。
今でも基本的には東京電力のホームページに常時アクセスするか東電にしょっちゅう電話ででも問い合わせないと確かな情報は得られない。もちろんテレビなどのお知らせではだめ。だいたいローテーションルールの見当がついてきたので推測はつくようにはなったがあくまで勝手な推測ということで基本的には常時確認を要する。
私の住んでいるところは町内放送は聞こえない。テレビのお知らせはおおまかすぎて役にたたない。幸いインターネットをつないでいるのでそれで情報を仕入れているがそうでない人はどうするのだろう。
今後東海地震も必ずあると予測されていることだし、そのときまた同じことを繰り返さないようにあえて以下提言しておく。
(1) | 東電のグループ割り、私のところは3と4の2箇所のグループに記載されている。(これもグループ順記載になっているので、すべてを見ないと気がつかない。) |
電気の系統が2箇所から入っているということだろうか。しかるべきところに問い合わせても結局どちらかわからなかった。 | |
停電してはじめて3だということがわかった。 | |
なんでこんなに細かく割るのだろう。もっと大まかの方がわかりやすくいいではないか。 | |
(2) | 最初グループ割と停電時間割の関係がよくのみこめず、わかった時にはもう変わっていた。 |
なんで毎日変える必要があるのだろう。一週間ごとでいいではないか。 | |
そうすれば交通機関はもとより学校、会社、店など世の中も対応しやすいだろうに。 | |
(3) | 今回はいたしかたないにしろ、あらかじめこうするよというのを策定、公開しておくのがいいだろう。 |
もちろんそのときには、「計画停電を実施する」という情報だけで自分の関係するところの停電の予測ができるように。 |
さらに被災者たちも必死に生きようと努力している。
今後のことは今後のこととして、とにかく今はがんばってくださいとしか言いようがない。
2011年3月11日 大地震
食器棚が倒れそうになったのでおさえていた。命の危険を感じるまではいたらなかったが、どんどん揺れが大きくなっていく状況に恐怖を感じた。
いったい何分揺れていたのだろう。2、3分は激しく揺れていたような気がする。(本当はもっと短かったかもしれないが、そう感じた。)
これは大変な地震だと思い、テレビをつけて見入っていたが、大津波が家や車をのみ込んでいく実況映像に唖然。
前日、前々日は出かけていたがこの時はたまたま外出していなくて幸運だったというほかはない。
なにはともあれ、被害にあわれた方々にはまずは心よりお見舞い申し上げます。
2011年2月28日(月) 定年退職
とは言っても契約社員だったので退職金や記念品や定年退職の儀などがあるわけでもないが、ただおしまいではなんとなく寂しいので、まあ、めでたく定年退職ということにしておこう。
あとは残った人たちでがんばってくれ~。
今の会社は9年くらいだが、それでもしばらく一緒に仕事をしたとなると名残りおしいもので、お世話になった人たちに挨拶しているうちにふと涙がにじんできてしまった。
で、今後どうというあてもないが、明日からしばらくは退職後の手続きで役所まわりだのさらには確定申告などめんどうなのがいろいろあってのんびりもしてられない。
次の日から暇になると思っていたらちょっと甘かった。
2011年1月17日(月) わんこ昇天
19日、せめて長い間いっしょに暮らして遊んでくれたお礼にと、近くのペット供養をやっているお寺で供養してもらった。
由緒あるお寺湯河原吉祥院にて、簡単ではあるがお坊さんにお経をあげてもらい、焼香をする。
このあと焼かれてペット供養共同墓地へ。
最近はずっと家の中で飼っていて一緒に生活していたが、いるときは何とも思わないのにいなくなってみると妙にさびしいものだな。
倉金美紅(みく) 享年11歳、冥福を祈る。
2011年1月10日 やっと風邪がなおってきた
わんこもどうやら風邪をひいたらしく3日ほどごはんをたべていない。どうやらうつしてしまったらしい。
新年早々特に書くこともないので。
2011年1月1日、2日 お正月
昨年末父が他界し喪中ということで、今年の正月はしめやかに。それにちょいかぜぎみ。
元日今年はいい年でありますようにと初日の出をおがんで、2日に近くの吉浜神社に初詣にいって終わり。